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1.人の心などわかるはずがない
臨床心理学などということを専門にしていると、他人の心がすぐわかるのではないか、とよく言われる。私に会うとすぐに心の中のことを見すかされそうで怖い、とまで言う人もある。確かに私は臨床心理学の専門家であるし、人の心ということを相手にして生きてきた人間である。しかし、実のところは、一般の予想とは反対に、私は人の心などわかるはずがないと思っているのである。
この点をもっと強調したいときは、一般の人は人の心がすぐわかると思っておられるが、人の心がいかにわからないかということを、確信をもって知っているところが、専門家の特徴である、などと言ったりする。一般の人は、ちょっと他人の顔つきを見るだけで、「悪い人」とか「やさしそうな人」とわかったように思う。これに対して、専門家はどれほどやさしそうに見える人でも、ひょっとすると恐ろしいところがあるかも知れない、と思う。あるいは,怖い顔つきの人に会っても、あんがいやさしい人かも知れない、と思っている。要するに、簡単に判断を下さず、人の心というものはどんな勤きをするのか、わかるはずがないという態度で他人に接しているのである。
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あとがき
冒頭にかかげた、[人の心などわかるはずがない」。そんなのは当り前のことである。しかし、そんな当然のことを言う必要が、現在にはあるのだ。試しに本屋へ行ってみると、人の心がわかるようなことを書いた本がたくさんあるのに驚かれることだろう。私は新しく相談に来られた人に会う前に、「人の心などわかるはずがない」ということを心の呪文のように唱えることにしている。それによって、カウンセラーが他人の心がすぐわかったような気になってしまって、よく犯す失敗から逃れることができるのである。
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